『森嶋』が誕生するまで

『森嶋』誕生の背景には、
さまざまな人との出会い、
試行錯誤の道のりがありました。

Story 1 海をのぞむ小さな蔵の
大きな決意。

その挑戦は、茨城でいちばん海に近い小さな酒蔵から始まります。大きな決意のきっかけとなったのは、東日本大震災でした。

茨城でいちばん海に近い場所で。

太平洋に面した茨城県の日立市北部には、小さな海水浴場と漁港を擁する川尻海岸があります。そこから1歩、2歩…と数えていくと、70歩目でたどり着くのが、森島酒造。茨城でもっとも海に近い蔵です。

あまりに海に近いので「酒づくりに井戸水は使えるのですか?」とよく聞かれますが、敷地内からくみあげている井戸水は、阿武隈山地南端の山々からの豊かな伏流水。硬水であることから日本酒づくりに適しています。日本画の巨匠・横山大観画伯の名を持つ銘酒の酒蔵として、地元の方々から愛されてきました。

歴史を刻む大谷石の酒蔵。

森島酒造には幾多の苦境を乗り越えてきた歴史があります。1945年、太平洋戦争の際は、空襲により蔵と家屋を焼失。当時の四代目・森嶋浩一郎が、耐火性に優れ、強固な大谷石を苦心の末に取り寄せ、蔵を建て直すことでただちに酒づくりを再開させたのです。

そして、2011年。不運にも、さらなる苦難に向き合うことになりました。東日本大震災です。津波の浸水被害からは免れたものの、敷地内を横断する激しい地割れが起こり、出荷を待っていた多くの酒瓶が割れてしまいました。さらに、大谷石蔵の壁にまで大きな亀裂を入れたのです。

未来のために、くだした決断。

続く余震のなか、石壁の裂け目から差し込む陽の光。それを見つめていたのは、六代目・正一郎でした。茨城県出身者として初の南部杜氏資格に合格を果たして数年、跡継ぎとして蔵の未来を模索していたところの衝撃的な出来事だったのです。

突然、つきつけられた厳しい現実。石蔵の完全修復は難しく、移転や廃業も考えましたが、悩んだ末にできる限りの修理を施し、この地で酒づくりを継続することを決意しました。そして歴史を刻んできた石蔵の壁に、森島酒造の復興と飛躍を誓ったのです。

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Story 2 蔵の新しいスタンダード
となる酒を目指して。

本格始動した、蔵の新しい時代をつくるブランドの構想。試行錯誤のなかで得たのは、たくさんの出会いと気づきでした。

信じてくれる人たちのために。

震災から復興していくなかで、蔵の将来のために自分がすべき事は何かと考えた時、思い至ったのは、蔵の代表銘柄に並ぶ、自分のブランドを生み出すということでした。そして大学で学んだ醸造の知識や修行時代に習得した技術をもとに、新たな酒づくりを本格的にスタートさせたのです。

「とにかく旨い酒をつくりたい。そのためにはつくり手として昨日より今日、今日より明日、努力を惜しまず精進しなければならない。」
その前向きな姿勢に可能性を感じてくれた県内外の酒屋さんや問屋さんと、新たな出会いと交流が生まれたことは、うれしい変化でした。「旨い酒をつくってくれれば、必ず売るから。」そういって信じてくれる人たちのためにも、必ず結果を出してみせると、改良を重ね続けていきます。

人生を変えた師との出会い。

ところが、なかなか納得する味をつくれない日々が続きます。酒屋さんからは「本当にこれで旨いと思っているの?」「本気で酒づくりしてる?」と、厳しい言葉をいただいたことも。つくりを何度も見直し、文献を読みあさりましたが、自分の理想とする味をなかなか醸し出すことができずにいました。

そんなときに出会ったのが、業界を牽引する勝木慶一郎先生です。多くの酒蔵が師事する先生に、なんとかご指導いただけないか。茨城の小さな蔵には難しいことだと思いましたが、佐賀県まで足を運び、酒づくりに縣ける実直な想いを伝えました。そして、ついにご指導の機会を得たのです。

旨い酒は、ひとりではつくれない。

先生からご指導いただいたのは、長年の経験に基づく、洗練された酒づくり。それは人の力と和を大切にし、基本に忠実な製法であり、理論に基づく合理的な技術でした。一つひとつの工程を理解していくことで少しずつ疑問は解けていきました。そして、それらと同じくらい、旨い酒をつくるための姿勢や考え方を学ばせていただいたことも、大きな財産になったといえます。

「家族を大切にしなさい」。それは、忘れられない言葉のひとつ。酒づくりはシーズンが始まれば、蔵につきっきりの生活になります。それに専念できるのは、支えてくれる家族がいるからこそ。旨い酒は杜氏だけでなく、家族、そして社員とともにつくりあげる作品。その大切さに改めて気づき、想いを新たにしたのです。

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Story 3 ついに出荷のとき。
まだ、挑戦は終わりません。

設備や製法をすべて見直し、まっすぐに理想の味を求めて。さらなる可能性を追求し、『森嶋』は進化し続けます。

自分自身に一石投じ、
これまでの設備を一から見直す。

新たなブランドづくりの道のりは険しく、自分のなかにある酒づくりの常識を一度すべて見直し、自問自答する日々の連続でした。なかでも大きな覚悟を持って刷新したのが、醸造設備です。

味わいの基礎となる理想の蒸し米をつくるため、四角のこしきを特注。さらに、0.3℃の微細な温度差を見極め、精密な温度管理を行える麹室を整備しました。とくにこだわったのは、冷蔵設備です。発酵過程で生まれる自然で繊細な香味を、そのまま酒にとけこませるために、搾り機を冷蔵室の中に設置。搾った酒の風味を損なわずベストな味わいで愉しんでいただくために、冷蔵タンクや保管庫を一新。「旨い酒をつくりたい」その想いで、気がつけばほとんどの設備が入れ替わり、森島酒造の歴史のなかでも短期間で最大規模の設備導入となりました。

時代に合う味わいを、
基本に忠実な製法で。

理想の味わいをつくる上でのこだわり。そのひとつが、酒の核ともいえる酒米それぞれの個性を愉しむおいしさを表現することでした。選び抜いたのは、雄町、ひたち錦、山田錦、美山錦の4つ。熟考を重ね、精米歩合も5%刻みに決定。

さらに、新たな酒づくりをするからには、自分だからできることを追求したい。食事に寄り添うきれいな“透明感”と“フレッシュ”な味わい。そして、口のなかをリセットし、いつまでも飲み続けられる“程良い酸”。自分がつくりたい「時代に合う味わい」は、これだ。そのために取り組んだのが、勝木先生からご指導いただいた基本に忠実な酒づくり。食事に寄り添う面から、香り高すぎず、甘すぎない酒質とするため、あえて伝統的な麹菌と酵母を選択。そして、時間をかけて一つひとつの普遍的な酒づくりの工程を理解し、身体に覚え込ませることによって、はじめてその味わいが表現できる。こうした研鑽を重ね、自分が本当に納得する「時代に合う味わい」に仕上げていきました。

ブランド名に、決意を込めて。

構想から約10年の月日を経て、ついに皆さまにお届けできるとき。覚悟を込めて命名したのは、自らの姓『森嶋』。飲む方のなかに新しい気づきがある一杯であってほしい。そして、つくり手である自身にも一石投じる姿勢を忘れずにいたいという想いから、ラベルデザインも実際に震災で崩れ落ちた、大谷石蔵の石片を使用しました。この石片は、どんな困難をも乗り越えていく、森島酒造の不屈の精神のシンボルとして大切にしているものです。

今まで以上に日本酒の深遠さを感じていただけるような一杯へ。受け継がれてきた150年の伝統を守りながら、『森嶋』はこれからも挑戦と進化を続けます。

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